具体的に、どういうものに対して尊敬の念を抱くのか、っていうのは説明しづらくて、「在り方」としか言いようがないんだけど、感覚で生きているあたしの皮膚をざわざわさせるような、毛羽立たせてしまうような、震えるほどの「何か」を持った人。
成就したとかしなかったとかはさておき、あたしが生きてきたなかで「本気で好きになった人」とあたしのパワーバランスは10:0と言っても過言ではなくて、だけどその敗北感は不快どころか爽快で、「かなわないこと」を快く受け入れることができた。
あたしの尊敬する人々はみな一様に、紡ぎだす言葉達がきらきらしていて、ボヤボヤしていたもののピントを合わせてくれたり、ゆるかった足元を固めてくれたり、見えなかったものに光を当ててくれたりして、いつだって、たじろぐほどにはっとさせられる。
そんな彼らに
めずらしいね
とか
奈々らしくないね
とか
逆に
奈々らしいね
とか
言われると、それらの言葉はスポンジのように染み入って、「よく見てるなあ…」って思ったり、その人の思う「あたしらしさ」がどういうものなのかを知ることが出来て、嬉しくなったりする。
なのに、人によっては、同じ言葉を言われても、まるで染み込まない。
むしろ、「めずらしいとか、らしくない、って、あたしの何をデフォルトとして言ってんの?あたしの何を知ってんの?」などと思ってしまったりする。
あたしの長所でもあり短所でもある「感覚で生きる」というスタイル。
感覚だけを頼りに、手探りで生きてきたからこそ、奥行きのない諭しは、その立体感の無さが目分量でわかるようになってきたし、望まれないフィルターを通して自分を見られている場合も、同様にわかるようになってきた。
同じ言葉を使われても、言う人が違うだけで、自分の胸に響かないのは、たぶん「心の周波数」みたいなものが違うから。周波数が違う人の言うことは、雑音が多い。だから、聞き取れない。周波数が合う人の言うことは、雑音がない。だからクリアに聞こえる。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
という、アルベルト・アインシュタインの言葉がありますが、おそらく、偏見のコレクションは「18歳」までと言わず、今もなおコレクションされ続けていて、それらは心の入口から心の奥底にある「核」までの通り道に、デコボコとした障害物をいくつも作っていて、言葉をぶつけられてもなかなか核に届かない。
誰かから、心を揺さぶられるような言葉をもらったとき、あたしはいつも、同じイメージが頭の中に浮かぶ。
それは、鋭い光が、障害物の多い洞窟の中をするすると抜けて、奥底にある核に、いとも簡単に辿り着いてしまう映像で、光が核に辿り着いた瞬間、鐘が打たれたみたいに、大きな音が鳴る。
その音は洞窟の中でぐわんぐわんと響いて、あたしはその轟にうろたえてしまうほどなのです。
あたしが仰ぎ見ている人々が純利1兆円の大企業だとしたら、あたしはその下請けの下請けの下請けくらいの零細企業、で働く下っ端社員。だから、今はまだ、たぶん無理。
だけど、いつか、あたし自身が、あたしの大好きな人たちの鐘を鳴らすことができたら、それはもう、人としても、女としても、すごく価値のあることなんじゃないかと思う、今日この頃です。
>奈々さんの言葉の選び方、私はとても好き。
奈々さんのブログがまさにその鋭い光だと私は思うなぁ・・
うーーー!!marikoさん、嬉しいコメントありがとうございます!!
あえて、否定せず、素直に、ありがたく、ちょうだいしておこうと思います。
★師匠
こないだは、テロ電話、すんませんでした(笑)
近々!
私信も色々あるんで、また電話するねー。
奈々さんのブログがまさにその鋭い光だと私は思うなぁ・・

















































































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