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あるキーワードが突然浮かび、しばらく頭から離れない。

ということがしばしば起こります。


漢字一字だったり、熟語だったり、動詞だったり、はたまた英単語だったりと、それはその時によって変わるのですが

ここのところ漠然と頭に浮かんでいたのは、「糸」というキーワード。


ただ今回の場合は、突拍子なく浮かんだというよりも、

Hという男友達に久しぶりに会ったからだと思います。

彼は北風と太陽と横糸と縦糸という日記に登場したことがあって

タイトルに「糸」とつけるくらい、「糸」を思わせる人だからです。


この過去記事自体はもう6年以上前に書いたことなんですが、手前味噌的に取り上げたいのでは決してなく

「自分と誰か」や「誰かと誰か」の「織りなすさま」、「かかわり」そのもの、

それらを「縦糸と横糸」であらわすのは、ひとつの共通認識ですよね?と言いたくてですね。


中島みゆきさんの「糸」という曲があれだけ支持されたのも

「あなたと私」=「縦糸と横糸」という概念が、潜在的であれ顕在的であれみんなの心にあって、

それぞれがきっと、誰かを「あなた」に、自分を「私」に投影させて

身近に感じたからこそ、寄り添えたからこそ、心を震わされたのだと思うのですよ。


少なくとも私はそうですし、この曲が大好きで、

特に「糸」がキーワードとして頭に浮かんでからは

音のない文字だけの「糸」よりも、この曲そのものが頭の中でずーっと再生されていました。(「いました」というか今もなんですが)



というわけで貼っておく。



いやしかしいい曲。





そんなふうに、頭の中に漠然と「糸」があるまま年越しをし

里帰りから東京に戻った日、今年1冊目の本を買いました。

原田マハさんの本日は、お日柄もよくです。



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平積みされてあった中から何の気なしに選んだのですが

結論から言って、素晴らしい本でした。

今年1冊目の本がこの本で良かった!と心から思ったほどです。


主人公は製菓会社のOLで、幼馴染の結婚式に出席するところから物語が始まります。

幼馴染は実は長年思いを寄せていた相手でもあって、最悪な気分での出席だったのですが、

そんな気分を吹き飛ばす、感動的なスピーチに出会います。

伝説のスピーチライターと呼ばれる久遠久美の祝辞で、

空気を一変させる言葉に魅せられた主人公は、久遠久美のもとに弟子入りします。

結婚式のスピーチだけを教わるはずが、「政権交代」を叫ぶ野党のスピーチライターに抜擢され、

主人公が身を置く世界、それは言い換えると「言葉の世界」が、

更に「言葉」によってまばゆく色鮮やかに描かれていく小説です。

胸も目頭も熱くなるどころかもはやボロ泣きしてしまい、一晩で一気に読み終えました。



本書の中で、

「食卓の花ほころびて椀ふたつ」

という句が登場するシーンがありました。


主人公のおばあちゃんは高名な俳人で、

おばあちゃんが主催する句会の中で、主人公の幼馴染み「あっくん」が詠んだ句です。

あっくんが例の、主人公が思いを寄せていた相手なわけなんですが、

挙式を終えたばかりの新婚さんであるからして

「ほころぶ花は、新妻の笑顔でもあるわけね。新婚家庭の明るい空気が伝わってくるようです」

とおばあちゃんに評されていました。


この場面を読んだとき、目に留まったのが

「ほころぶ」

という言葉。



「ほころぶ」って、辞書を引いても

1 縫い目などがほどける。

というのが筆頭に来ますし、袖とか裾とか、なんだったら「結婚生活にほころびが生じる」のような感じで使われたりもしますから

傷んだり、劣化したり、何かが「こわれていく」前触れのような、

どっちかっていうとあまり明るくない印象が先行するのではないかと思うんですけど

「1」以降は


2 花の蕾 (つぼみ) が少し開く。咲きかける。

3 表情がやわらぐ。笑顔になる。

4 隠していた事柄や気持ちが隠しきれずに外へ現れる。


と、その光景を想像すると、柔和な気持ちをもたらす意味のほうが、多く並んでいます。



で、この「ほころぶ」という言葉は、漢字で書くと「綻ぶ」じゃないですか。

だから、「ほころぶ」という言葉を見たときに、「ほころぶって、『いとへん』だな」と、隠れた「糸」に反応したわけなんですが

「袖口が綻びる」というような、何かが「傷んでいく」意味の「綻び」だったとしても

そういった「綻び」を直すのには、「繕う」という言葉が使われますよね。これもまた「いとへん」で

「綻びを繕う」って、「糸と糸」なんだなあと、勝手に腹に落ちたんです。


そして、本日は、お日柄もよくを読んでいるあいだ、この「腹に落ちる」感覚を、幾度となく味わったんですよ。


昨年5月、トライ&エラーの先という日記の中で


「エラー」って結局なんなんだろう、とは思うんですよ。

「結果」の「果て」って、いつのことを言うのかと。

過渡期はエラーっぽく見えるかもしれないけど、「トライ&エラー」の先って、結局ぜんぶ「結果オーライ」なんじゃないかなあと、そう思うようになりました。



って書いたんですけど、これは本心であると同時に、「いやだって、そう思わないとやってられないしw」という強がりでもあります。

でも、でもですね、「果て」に行き着くまでの過程、つまるところ「経ていくとき」「経験していくとき」の「経」もまたまた「いとへん」であり、

なおかつ「経」という漢字そのものに


「織物の縦糸」


っていう意味があるって、知ってました?(goo辞書参照)

ちなみに私は知らなくて、だからこそ「うわあー!」と思ったんですけども。



っていうところから、その後はもうとめどなく「糸」の入った漢字がばんばん目に飛び込んでくるようになってきて、

それこそ最初の方で

「自分と誰か」や「誰かと誰か」の「織りなすさま」、「かかわり」そのものを、「縦糸と横糸」であらわすのは、ひとつの共通認識ではないか

と書きましたが、人との「かかわり」を思い起こさせる言葉に、「糸」がつくものってたくさんあるんですよ。

例えば「繋がり」だったり、「絆」だったり、「結(ぶ)」が付くあらゆる言葉もそうだし(「結婚」とか「結納」とか)、

なによりそれらを包括する最大の「糸」は、「縁」ではないかと思いました。


って思ったとき、なんだかもう


目を閉じれば宇宙 (賢者タイム)


のような、果てしない広がりを感じたんですね。

決して絶望から来るものではなく、だけどその広大さに「途方に暮れた」と言うか。

いやもうまじでいろんなこと「宇宙から見たらどうでもいいな」と、清々しいお手上げ感。


だけど、だけどですね。

そう思うに至るまでには、やっぱり、「経験」という糸が、私には必要だったのだと思いました。それが苦いものであれ、悲しいものであっても、です。


もう、もう、今までにも何回も言ってるしいつも思うんですけど、「自分が思うこと」って不定期スパンで訪れる繰り返しで

今日の自分も、数年前の自分も、「突き詰めると同じようなこと」を言いたいんだとしても、

「今日」が「最新の処方」だとすると、過去はやっぱり過去で、

まだちょっと足りてなかったり、逆に、装飾過多だったりします。

それを更新していくのが、「経験」っていう糸なんだなあと。



R-18が10周年をむかえたとき

私は、「言葉」が好きです。

言葉の大切さも、分かっているつもりです。

だけど、それと同時に「言葉の当てにならなさ」も、あらゆる局面で感じてきました。

さらに、沈黙を守ることの美しさも、それを体現する人たちから教えてもらいました。


って書いたんですけど、少なくともこの1年くらいは、

「言葉の当てにならなさ」ばかりを感じる、そればかりが目につく、というところに居て、

そこから出ようともしなかったのだなと、この本を読んで気付かされました。

だから、今年最初に読んだ本がこの本で良かったと思ったんです。

胸を熱くする、躍動する言葉たちに触れて、ああ、言葉ってなんて素晴らしいんだと思いました。



私が「文色(ぶんしょく)」に異様なくらいにこだわって、ブログの外でdisられるほど(w)書いてきたのは

その人の持つ言語感覚がどうあるかで、自分の感情が大きく揺さぶられるからです。

それは純粋なリスペクトだったり、恋愛感情だったり、恋愛じゃなくても好ましい感情が芽生えるとき

「素敵なことを言う人だな」というのが筆頭にあって。

そんでもってこれは「好みの問題」で、

私の場合は、文筆業を生業にしたいと思っていたくらいなので、「ソコ」にセンスがある人が死ぬほど羨ましいし、意識しているぶん、際立ってきらきらとして見えるんですよ。

これが例えば音楽家だったら、恵まれた音感だとか、演奏のテクニックだとか、声質を持つ人の存在が、きらきらとして見えるのではないでしょうか。


冒頭で触れたHはまさに、「素敵なことを言う人」なんですね。

今回印象に残ったHの言葉は、


「奈々ちゃん、俺、『オープンがフェアネスを作る』と思うんだ」


というもの。

大昔にも書いたことがあるんですけど、基本的に「秘める、伏せる、言わない」ことを主体として人(とくに異性)と接している私は、

「考えすぎて一周して結局現状維持」ということがよくあるんですね。

Hに会った時はまさにそういう状態のときで、その現状報告を受けてHが言ったのが

「オープンがフェアネスを作ると思う」

だったんです。

「ははあー!」と思うのと同時に、私のような人種には実行が難しくもあるのですが、

だけどことあるごとにこの言葉を思い出して、3回に1回、いや、5回に1回くらいは実行するようには、なった、かなあと。

そのくらいまだ機会が少ないので「とれ高」も少ないんですけど(w)、つい先日も、「ああっ 思い切って聞いてみてよかった!!泣」と思うことがあったので、これからかなと思います。


という小さな変化を経て改めて思ったのは

「言葉の当てにならなさ」ばかりを感じる、そればかりが目につく、というところに居て、そこから抜け出そうともしなかった

のは、言葉が好きなくせに、思いが一方的すぎるがあまり、勝手に諦めて、向き合いもせずにサジ投げてた。

状態だったのかなと。

私の恋愛を見事に反映しているかのようなザマなんですけど。(こじらせてる)



言葉って、難しいですよね。

大切な言葉を、大事に持っていたくても

言葉に依存しすぎてしまうと、がんじがらめになってしまったり、裏切られたり。

かと言って、軽んじて雑に扱ってしまうと、これまた痛い目にあったり、悲しい思いをしたり。


ああほんと扱いの難しいコレ(親指)みたいなやつで非常に面倒なんですが

それで嫌いになるかっていうと、嫌いになんないし、ていうか好きだしで、

おいおいお前が一番めんどくせえなって話なんですけど。


っていう、読書感想文なんだかなんだか分からない着地ですが、「本」カテゴリにねじこみました。テヘ。


新年早々長々とすみません。

最後まで読んでくださったそこのあなたさま、ありがとうございます!(最敬礼)






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