「チーターやなくて
チータ(ちいさなたみちゃんの略)だよ。 」
って、ねーさんからツッコミが来た。
しーらーなーかーったー!!!
ほんとだ、ウィキにも
愛称「チータ」はデビュー前からの物で、「小柄だから、小さいたみちゃん」に由来している(チーターのように足が速いからと間違われる事が多い)。
って書いてあった。っていうか「たみちゃん」って誰だよって思ったら本名が「林田 民子」さんとおっしゃるのですね。あー、一つ勉強になった。
あたし「アセトアルデヒド脱水素酵素」とか知ってるくせにやたらエアポケットが多いんですよね。
「傘下」のことずっと「かさか」って言ってたし。
「吉川英治文学賞」のこと「きっかわえいじぶんがくしょう」って言ってたし。(たぶん「吉川 晃司」とまざってた)
先々月まで「アフリカ」って国名だと思ってたし。
先週まで自分はキャベツ畑から生まれてきたんだと思ってたし。(じゃあ今は?)
あいちんは「cher」を堂々と「チャー」って言ってたし。
和可ちゃんは今をときめく「カンカン帽」を「甘々棒」だと思ってたし。
あ、ごめん。二人のことは関係ないのに巻き込み事故でした。
ついでと言っては何ですが、二人もtwitter始めました。
あいちん→nattouaiko
和可ちゃん→kimwaka
応援よろしくです!
そんでもって2月9日の今日、肉の日orフグの日は和可ちゃん20代最後の誕生日です!
和可ちゃん誕生日おめでと?!!
はてさて、冒頭の「勘違い」と通じるものがあるのですが、友達のmixi日記で書かれていた話をちと拝借。
「ねにもつタイプ」(ちくま文庫)。
読みやすい文章なのでぼうっと読んでいました。
以下は「床下せんべい」という話の冒頭です。
「 小学校低学年の頃、週にいちどピアノを習いに行っていた。
先生の家には『少年マガジン』がどっさり積んであって、順番を待つあいだに貪るように読んだ。そうして読んだなかに、たしか『あしたのジョー』もあった。
「ジョー」が「りきいし」に激しくパンチをくらう。「あっぱーかっと」という名前のパンチだ。するとじょーの口から、血にまみれた、白っぽい、ソラマメみたいな形をしたものが、ライトがぎらぎら光るスタジアムの天井めがけて一直線に飛び出す。じょーは倒れる。髪の長いきれいな女の人と目玉のおやじが「じょー!」と叫ぶ。
私は長いこと、じょーの口から出てくる、そのソラマメ形の血にまみれた白いものを、腎臓だと思っていた。─後略─」
タイトルの床下せんべいは、電車に乗っている時に、線路の音があるやん。あれを床下にせんべいかじってる人がおると思ってたんやて。
子どもてさ、自分で納得できる範囲でつじつまあわせて世界を理解するっちゃんね。
これ読んで唐突に思い出した。
ちっちゃい頃、牛乳パックに書いてある「あけ口」を「あけろ」と読んでいたあたしは、この牛乳パック作りを担当した人は不良のお兄さんだったんだろうと、本気で思っていました。
「ポンキッキ」の絵本を読みながら「はたらくくるま」を歌ってて、今だったら歌えるけど「けが人びょう人はーこぶきゅうきゅうしゃ?(きゅうきゅうしゃ!)←あいのて」っていう「救急車」の歌詞が思い出せなくて、洗濯物をたたんでるヤエちゃんの真横で、あたしは堂々と
「しーんだひーとをはーこぶきゅうきゅうしゃ?」
って歌って爆笑された。
うちの祖父は父方も母方もあたしが生まれる前に他界してしまっていたので一度も見たことがなく、「最初から居なかった人」であって、それは「死」にカウントされてなかった。
母方の祖母が亡くなる19歳の時まで近親の死が一度も訪れなかったので、随分と大きくなるまで「死」というものを身近に感じたことがなかった。
幼い頃に抱いていた「死」の概念って、怪我人病人の域を出ていなかったというか、「死ぬ」とか口で言ってても、これほど「取り返しのつかないこと」だって、理解してなかった。
ある時、家の目の前で弟が車にはねられたことがあるんだけど、ヤエちゃんが血相変えて家を飛び出して、あたしもそれにつられて家を出て、弟をはねてしまった運転手さんが病院に行きましょうって言って、3人は車に乗り込んで病院に向かった。
弟は、走り去る車の後部座席から道路に取り残されたあたしをきょとんとした顔で見てたんだけど、その時の弟の顔は血まみれで、あたしはその時の光景を、今でも鮮明に覚えている。
幼いながら「おねえちゃん」であったあたしは、弟のために何かをしなくては!と思い、慌てて家の中に入って折り紙と鉛筆と割り箸を持ち出し、折り紙に弟の名前を書き、割り箸をさして近所の公園に埋めに行った。何をしていたのかと言うと、「お墓」を作りに行ったのであった。不吉すぎるよ!!!って話なんだけど、「死」を理解していなかったあたしは、「お墓」というものも当然理解しておらず、「お墓を立てる」ということは「弔う」のではなくて「見舞う」ようなもんだと思っていたんですよね。だからあたしとしては「やれる限りのことを!」という感じでやったことだったんだけど、その後、病院から帰ってきたヤエちゃんに「縁起でもない!」って、怒られた。(笑ってたけど)
今でも時々
「奈々ちゃんあの時お墓作りにいったもんね(笑)」
って、ヤエちゃんに取り出されては笑われるヒストリー。
あ、もういっこ思い出した。
年の離れた一番年下の弟と話してた時、幼い弟に「『地球』って、なんのことか分かる?」って聞いたら
「わかるよ!ちきゅうって、わるいやつにせいふくされるためのものやろ?」って自信満々に言ってて爆笑した。
特撮戦隊モノの影響力。でも彼は「せいふく」がなんなのかもよくわかってなかったんだろうなあ。
そう言えばこないだ、おじいちゃんがお孫さんを連れているところを目にしたんだけど、おじいちゃんがお孫さんに「環状7号線通過しまーす」って言ってるのを見て、ふと思った。
大人になれば、見慣れない熟語でも、漢字単体そのものが持つ意味があるから、言わんとすることはなんとなく分かったりするじゃないですか。
漢字に「にくづき」がついてれば体のどっかの部位をあらわすのかなとかって見当がつけられたりとかさ。(「腕」とか「腿」とか)
だから音で聞くよりも字で見たほうがストンと頭に入ったりする。
ちょっと細部は間違ってるかもしれないけど、こないだ谷崎の「痴人の愛」を読んでた時、「どういうつもり」っていう言葉が「どういう積もり」って表記されてるのを見て、今更ながら「あ、『つもり』って、そういうことだったんだ。なるほど!」って思いましたし。
でも、「かんじょうななごうせん」って音だけ聞いたとき、小さな子どもは「かんじょう」を「環状」になんて変換出来ないから、「環」そのものが持つ意味なんて、わかんないですよね。「環状」でなくて、「かんじょう」で覚えて、たぶん、のちのち意味を知って「そういうことだったのかー」って、思う日が来るんだろうな。
あたしの場合、薬の「ふくさよう」とかがそうだった。
「"主"作用」「"副"作用」として認識してたんじゃなくて、「いろんなよくない症状」を総称して「ふくさよう」って言うんだと思ってた。だから、「ふくさよう」が「副作用」だって言うのを知った時、「なーるーほーどー!!」って思ったのと同時に、ちょっと、肩透かしだった。あたしの持つ「ふくさよう」のイメージはとんでもなく悪かったから、「副作用」だったら、「主作用」以外のもの全てを指すわけで、別に悪い症状とは限らないじゃん、って。
ほんと、友達の言うように、子どもって、自分で納得できる範囲でつじつまあわせて世界を理解する、んですよね。
なんかこっぱずかしい(笑)
ちなみに私も子供の頃、チーターだと思って、
おじいちゃんに
何でチーターなん?顔が似てるから?(失礼)
って聞いたら、笑いながら由来を教えてくれました。
しかしまぁ奈々エピソードおもろすぎ!!
私は結構いい歳まで
割愛を「わりあい」
殺陣を「さつじん」
車のウィンカーは、「念じたら」点灯する、
と思ってました。
ウィンカーの件は人に話すとかなり笑われた挙げ句、ネタでしょ(笑)?
とか言われますが大マジです。
クラッチって何なのか、いまだに知らないし。ググる気もせんし。
知らないまま納棺されると思う。
記事を読んでいて思い出したことがあってコメントしてみます。
私、ずっとラーメンの「メンマ」って割り箸を何かのダシに漬け込んで柔らかくしたものだと思ってました
この間違いに気づいたのも結構遅くて小学校高学年とかだった気がします…。
あのルックスとたまたま食べたメンマが繊維がすごく残るやつだったんですよ。
今でもメンマ見ると思い出すんです 笑

































