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不純物

(11.05.16追記:だーっと書いたらさっそく誤解されてるっぽいところもあったので、若干書きなおしました。)

昔付き合ってた人は「男と女の友情なんて成立しない」と思っている人だったんですが、そこに「あくまでも僕は(そう思ってる)」を付けたしていて、「奈々は成立すると思ってるんだもんね。それでいいと思うよ」と、男友達との待ち合わせに向かおうとする私を、笑って送り出してくれる人でした。

私はずっと長いこと、まじりっ気なしの男女の友情も成立すると思ってて、だからこそ当時付き合っていた相手にも男女にもまじりっけなしの友情はあるんだってば!と熱弁していたのですが、ごくごく最近になって、「まじりっ気なし」なんて「無い」んじゃないかと思うようになってきた。正確に言うと、「おおむね、無い」。
そんな話をこないだ友達としていたので、ちょっと書きとめておこうかと。


「友達」にもいろいろあるではないですか。「知人」と「友達」の境目ギリギリのライトな友達から「親友」と呼べるディープな友達まで。んでまた男友達に対する気持ちと女友達に対する気持ちって質が違うし、接し方も違う。←追記:もうね、そう思ってること自体が「まじりっ気」なんだと気付いた。

世に言う友情って要は「色っぽい気持ちが全く混ざらない」ことを指してると思ってんですけど、私は異性愛者なので、自然、女友達に色っぽい感情はわかない。まじりっ気なしに友情。
だけど、本当に密に付き合っている「男友達」と言うのは、なんかしら異性としての魅力があるから付き合っているんだなと思うようになったんですよ。逆に、ほんとにまったく色っぽい気持ち=不純物、が混ざらない相手の方が、友達付き合いとしてはライトで、お互いに「何かあったら夜中でも早朝でも駆けつける!」ほどの強い思いれはなかったりする。いや、友達だから好きだし末永く仲良くして居たいとは思ってるんですけど、相対的に言うと前者の男友達よりかはやっぱり仲良し度が低いんですよ。

男女の友情は、まじりっ気なしにはおおむね成立しない、っていうのは、この年になって「気付いた」んではなくて、年齢とともにそういう付き合い方へと変化して…いや、違うな、付き合い方は変化はしてないんだけど、そういう、どっか色っぽい感情もほんのーり抱いてしまう男友達が結果的に「密な友達」として残ったというか。
それはおそらく、良くも悪くも昔より少しだけ大人になって、自由に使える時間が減って、そんで、ズルくなったからだと思うのです。

今はもう、「遊ぶ」って言うとだいたい「飲みに行く」ってことで、時間とお金を使って会うのならやっぱり楽しく過ごしたくて、で、楽しく飲みたいと思った時に誘ったり、逆に誘いに乗ったりする男友達には「若干の不純物」が混ざっているなと。「自分が気持ちいい流れに身を任せてたらここにたどり着きました」っていう結果論なんですよね。たぶん。
私は女なので、やっぱり同性の友達の方が正直、大事。男の人だってそうですよね?同性の友達の方がきっと大事ですよね?

だからね、もう、ほんとにザックリとヤラシイこと言いますけど、どうせ男友達に会うんなら微か~でも「キュン」と来るような、なんか「オプションサービス」があるような人じゃないと時間と交際費のかけがいがな…いや、ごめん、ここまで言っといてまだ濁そうとした。守りに入ろうとした。
ちょっとくらい浮つくなんかがないと時間と金がもったいないっつー話なんですよ。(ドーン)(言っちゃったね)

追記。「色っぽいもの」って、取り沙汰するからおかしなことになったんだな。
要はね、男の人として「圏外」だと思うほどに魅力がない人とは交流を持っていない、という意味なんですよ。
友達になっている人に感じる「色っぽいもの」とは、単純にイイ顔をしてるとか、手がきれいだとか、可愛げがあるとか、言葉に引力があるとか、「男の人」としての長所を、異性目線で長所として感じているってこと。
私に向けて押し出しているセールスポイントではないにしても、それらはちゃんと視界に入ってる。でも私にとってはオプションで、「先行」はしていないし、「一緒に居る理由」を占めているわけでもない。
友達になっているくらいなので、気が合うって言うのは大前提だし、一緒に居る理由を占めてるのはそういう部分。
完全に色っぽい気持ちが先行してて、更にそういう気持ちの占有率が、男友達とは比べ物にならないくらい高いのが「好きな人」。そこには歴然とした差がある。(ここまで追記)

友達として飲んでるんだけど時々ふと「あー、愛しいなあ」って思うことがあって、私がそう思っている相手からも、なんかふとした時にそういう感情の芽生えがちらっと見えることもある。
だけどお互いにそれを表沙汰にしない、一線を超えない。それがその人を大事にすることであり、それが「男女の友情」なんじゃないかと思うのです。

だからですね、本当に完全にまじりっ気なしのニュートラルな感情しか「友情」と呼べないのなら、私が「友情」としてるものって、友情とは呼べないのかもしれないなあと。バイアスかかってるから。
なので、昔付き合っていた人が言ったように、「成立するかしないか」の二次元論で言ったら成立しないのかもしれない、と思うようになったのです。

だけど、対・友達と対・恋愛対象への接し方って違うではないですか。友達だから見せてくれる表情があって、友達だから掛けてくれる言葉があって、友達だからフォーカスできる話題や共有できるものがあって、「友達だから」見たり聞けたり得られるそれらが、その人と完全に男女の仲になったときに得られるものよりも勝っているだろうと思うから、「友達」を選択してる。

ひっそりと魅力を感じている「不純物」は、あくまでも友達だからキラッと光って見えてるってだけのことなんですよね。言ったところで私にはなんのメリットもないのに無駄に正直に言いますけど、昔一度だけ試したことがあって(何を?)「あ、間違えた」と思った実績があるからなおさらそう思うのです。(いらん実績!!)

なんていうんでしょう?大量のちりめんじゃこの中に時々混じってるエビの赤ちゃんみたいな「物珍しさ」というか。
んで、私は、まじりっけなしちりめんじゃこ100%じゃなくて、エビもあってほしいなと、男友達に対して思うわけですよ。
でも、エビは、ちりめんじゃこ1袋(大量)に対して1匹2匹くらいの、ほんのちょっとでいいんです。

こいつこんなバカな話してるけど「あの時」とかどんな顔してんの?(ニヤニヤ)って想像したりはするけど、実際に自分の目でまじりっけなしに「男」になってる友達の姿とかは、見たくないですからね。笑

とか、まあ、散々書きましたが、唯一、ほんとにまじりっ気なしの友情を感じている男の子親友が私には一人だけ居るんですけどね。
「おおむね、無い」と言ったのは、そういうイレギュラーな存在もいるから。ちなみに昨日も電話で話してて「こんっだけ気が合うのに、ほんっと『無い』よね!」という話をしていました。笑

追記。あ、あとですね、「今となっては」まじりっ気なし。っていう人もいます。でもそういう人にもなんかしら色っぽいものを感じていたっていう過去はちゃんと存在しているのですよ、やっぱり。知り合い初期とか。そして今でも「この子の彼女はこの子のこういうところが好きなんだろうなあ」っていう長所は、欲目抜きでちゃんと視界に入りますね。

「友達」で居てほしい人と「男の人」で居てほしい人、各々が持つ魅力とそれぞれを欲する気持ちの質は全く別物で、どっちも大事でどっちも必要。
それは自分自身が「友達」で在れる場所と、自分自身が「女の人」になれる場所を必要としてるってことでもあるからなんです。
私の男友達が「男の人として」寸足らずなのではなくて、私の女扉の鍵穴には合わないというだけの話。
私には男友達とは別のところで「女の人」になる場所と時間があるし、男友達にだって私の目につかないところで「男の人」をやってる場所と時間がありますからね。


まー、男友達と好きな人、その質はまったくの別物とは言え、じゃあどっち取る!?って聞かれたら、私は好きな人取りますけどね。笑

でも女友達と好きな人どっち取る!?って聞かれたら、答えられないなあ…。

男女の友情って、やっぱそんなもんです。笑



追記。いやー、この話題、難しい。まだまだ書きたいことがある。
言葉足らずで真意が伝わってるか自信がないし、仮に伝わっていたとしても、これが公約数的な考えなのかどうかは分かりません。
私、女子校出身者だし、究極の話、友達は女友達だけ居れば足りると思うんですよ。ほんとにほんとにまっさらな、女友達に対して抱くのと同じような関係を求めるんだったら、じゃあ女友達だけでいいじゃん、って話じゃないですか。

自分とは異種の、「男の子」という生き物と仲良くなるんだったら、そこにちょっとは「男の子ならでは」のエッセンスを求めてもいいんじゃないか?って思うし、現に、男友達にはそれを求めていたり、期待していたりするんだと思います。

ただ、やっぱりそれをあけっぴろげに言うことや認めてしまうことは、付き合ってる人がいたりすると若干後ろめたいし、自分の彼氏に同じこと言われたら「おいおいじゃあ会わないでよその女友達と」って、思いますね。笑
気持ちの質が全然違うから、自分的には「心配無用」なんだけども、彼氏から同じことを聞かされたらやっぱ面白くない。


なんにせよ、人付き合いのスタンスは人それぞれですから、今回の日記は「この人はそう思ってんだな」くらいに、ゆるーく読んでいただければ幸いです。



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it waits.

感謝企画へのご応募、ありがとうございますー!ぞくぞくとコメントいただいております。
みなさん、アンケートにもしっかりお答えしてくださってて、すごく嬉しいコメント付きで、移動中に携帯で見ながらじわっとしてます。北は北海道、南は沖縄、イギリス・アメリカ・ドイツなどの海外からもアクセスがあってびっくりです。ほんとネットってすごいねー!!!
締め切りは5月24日月曜日でございますので応募しようかな?と思っているそこのアナタサマ、感謝企画のコメント欄から応募してくださいませませ~。



さてさて。
久しぶりに「脳内一人サミット会議」なお話。
もはや化石ワードって言ったって、腐っても「適齢期」。
年々切実さと焦燥感を増していくのっぴきならないぬり絵事情は追記にて。


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季節外れのサワラ

既出だけど。
今一番聴いてる曲。
BGMにでもしながら読んでいただければ幸いです。




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嫌われておいで。





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身体ごと使い切って孤独の極みを視よう

嫌われて御出でよ

向かい風、乾杯!


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―椎名林檎:「余興(仮)」―



ぜんたーい止まれ!

1,2,3,4,5!ヤー!!

「ヤー!!」の県民奈々っぺです。こんばんは。 (※福岡)

ヤバイ。最近ブログ書くのが楽しすぎて意味不明のテンションです。更新率すこぶる高めです。日付かわってすぐ更新してます。(明けて木曜会社のPCから仕事中にコンニチハしてるオフィスレディの皆様、昨日の夜には服ネタ更新してますのでソッチもよろしくです。⇒)

しかもあいちんから、「楽しく書いてるのがすごく伝わってくるし、楽しく書いててランキング1位とかめちゃくちゃいいことやん!」って言われて、たしかに!!と思った。

ですが、正直あたしは「メジャー感に抵抗がある(馴染めない)」悲しい人種なので…ってmixiに書いたらマイミクMさんに「長年ブログを見ているので『メジャー感に抵抗がある』に超納得です(・ω・)」っていうコメントをいただいて(←このコメントスゲー笑ったw)しまうくらいなんで、おそらく「サブ感」…いやむしろ「4番手感」はダダ漏れしてるはず。だから、1位とかになっちゃうともちろん喜びも大きいけど、うろたえの方がデカくて「世紀末か?」などという考えが頭をよぎってしまいます。

ここ最近のランキング順位は完全にイレギュラーだと自覚しており、もうそろそろあっけなく下降していくであろうことが想像に難くないので、今後ともゆるゆるとR-18をよろしくお願いいたします。
でも、貴重な体験だった!嬉しかった!!ありがとう!!!(自分的には既に「過去の栄光」として帰結。)

色々と気持ちの変化があって、なんかも~、すーごい書きたいことがあるんだけど、それらは洋服とかコスメとかKBとかとは全然関係のないことだから、読む人にとってはとっても退屈な話。だけど、ココは「セーブポイント」だから、今後、ゆっくり順を追って書いていきたいと思っています。

にしても楽しすぎるあまり、以前まで日記本文では頑なに「使わない」と決めていた「(笑)」の使用すらいとわなくなってきているあたしですがいいでしょうか。

あたし、なんで最近こんなに元気なんだろー?ってすごく不思議だったんだけ…いや、うそ。元気な理由はあたしが一番よく分かっている。も、スンゲー長いので以下追記!

しかもコスメとか洋服とかは全く関係ない、と先に言っておきます。



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受け皿

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道産子 meets 明太子



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左:じんちゃん 右:ヤエちゃん

続くけど、スンゲー長いです。



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「ニュアンス」のブレ

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「完璧」は人を救わない

ミスチルの桜井さんが、以前、雑誌「SWITCH」のインタビューの中で、こんなことを言っていました。

よく、パクリだとか盗作だとかで問題が起こることがありますけど、そういう歌詞って、だいたい、実は誰もが思っているようなことなんですよ。

それを誰かが何かのきっかけでその人がたまたま言葉にしただけのことで。

だから同じようなことを書くのは当然だし……、それをさも自分が作った書いたように思っているのは大きな勘違いだと思う。

何もないところから人を感動させる言葉を生み出していると思ったら大間違いで、当たり前にあることを何か形にしてみたり、見えない何かもやもやしたものもあたかも見えるようにしているのであって、それは技術じゃなくて、その人が作ったものでもない。

それは誰の心の中にも流れているフレーズだからこそ共感できたりするわけで…
(「SWITCH」2008年8月号より)



R-18を読んでくれてる人が、時々、私が書いたことにすごく感心してくれたりします。

だけど、要は、桜井さんが言ってることを体現してるだけなんですよ。

誰もが、心のどっかで考えてることに、たまたま妄想族の、たまたまヒマな私がピントを当てて書いただけ。

それらは決して私の「オリジナル」ではないのです。


ちき嬢が、ある人々のことを指してこんな形容をしてました。


Aさんは野菜を作る人



Bさんは料理をする人


私は、完全にBさんの部類です。

ゼロから何かを生み出すことは出来なくて、誰かや何かに触発されたとき、そこから発展して考えたことを文字にしています。

「オリジナル」ではないにしても、大事に大事に考えて文字にしたことだから、それを、やっぱり「10」分かってほしいという思いは常にあって

「これって、こういう意味だよね?」

って、違った受け取り方をされるのが嫌で、それゆえに説明過多になっていました。

先日、赤ペン先生に指摘されたのは、それも含まれます。

奈々は

誰も傷つけない為に

そこを大事にするが故に

魅力的で

そんで空回りしてる気がする

不特定多数の暴力や恐怖は俺もある程度理解してるけど

関係ねー

うりゃ

ってすっ飛ばす瞬間が文章にももう少しあっていいのかもって思った

傷付けないための言葉が丁寧すぎて(対象を愛してるが故)真意が少し遠ざかるみたいな

(先生ごめん。先生からもらった言葉勝手に使った)




身に覚えがありすぎて、反論の余地がありませんでした。

と同時に、反論する気も起きなかった。

ずっと、誰かに指摘してほしかったんだと思います。

そのマクラには「私に届く言葉で」というのがつくんですが。


赤ペン先生の言葉が私に届いたのは、赤ペン先生の、音楽を作るスタンスに胸を打たれたからだと思います。

「受け手に全ての自由がなきゃ嘘っぱちの音楽家だし」

「見る人は自由だよ。受け取る側の論理で構わない」

それはまさに、私が日頃、受け手として甘んじてやってることです。

「誰かや何かに触発されたとき、そこから発展して考えたことを文字にしてる」が、まさに、そう。

中には拡大解釈していたことや、希望的観測で発信者の真意とは別の結論にいたっていたことだってあるはず。


もちろん、誰にだって「ここぞ」や「これぞ」っていう伝えたいことや信念はあるだろうし、私にだってあります。

「本質を掴む能力は本物にしか備わってない

自分に映る他者は己自身の投影だから」

これもまた赤ペン先生の言葉。

自分が伝えたい真意を確実に的確に拾い上げてもらうことは、素晴らしく気持ちがいいことです。

だから私は、ずっとそうされることを願ってきました。

だけど、

全ての人に分かってほしい

ってすごく傲慢だし、不可能な話なんですよね。

分かってくれる人が時々は居て、そしてそれは「嬉しい誤算」くらいにゆるく思っててもいいんじゃないか、という気になってきたのは、ごく最近のことです。

それに、真意が別のところにあっても、違うふうに解釈されたとしても、

それが誰かの何かの動機になったり、誰かの何かの救いになったりするのもまた、嬉しい誤算なんじゃないか、という気になってきました。


落っこちそうになった時、完璧な球体を差し出されても、私たちはつかまることができません。

完璧には隙がない。そつがない。とっかかりがない。

無駄な出っ張りや欠損の「つかみどころ」が私たちを救います。

デコボコを塗り込めることに私たちは身を焦がし

食べ物が放つ悩ましい香りには、空腹の人間の方が敏感です。

「あそび」という名の「余白」を彩ることに、人生の醍醐味はあります。

余白を彩るのは、音楽だったり文学だったりマンガだったりアートだったり友達とのバカ話だったり好きな人とじゃれあう時間だったりで、それらは「無くても死なないもの」たちです。

だけど「ときめき」を配合した代え難いものたちでもあります。


自分を着飾るものは、好きな人に脱がされるためにある。

私はそう思っていて、

「無くても死なない」、だけど「あると嬉しいもの」を愛して行きたいし、楽しんでいきたいし、そのために生きています。

それらを「無駄だ」と思った時、彩る余白が失われるのだろうなと。

だから私は、余白が残ってるまま最期を迎えて

死をもって自分の塗り絵を完成させたいと、そう思うのです。


「玉のように」生まれた赤ちゃんは、

さんざん殴られて削られていびつな多角形になっていきながら、

最終的には角が増えすぎて、

限りになく「玉」に近いかたちに戻って死ぬんじゃないだろうか、

というのが最近私が思うところで。


だから最期を迎えるその日まで、欠けてるとこがあっていいし

足りなくて埋めたくてがむしゃらになるくらいでちょうどいい。

焦ることは焦がすことで、身を焦がせるほどの情熱がないと、きっと人は飛躍しません。


赤ペン先生の言う「不特定多数の暴力や恐怖」を気にしていたのでは、先に進めない。

パブリックな場所で、不特定多数に対して胸の内を晒し

その私に物申す人が居るとします。

だけど、「R-18」内という限られた場所のみにおいては

発言のアドバンテージはどう考えたって私にあります。

そら、大勢にデモとかストとか起こされたら別だけど。

私は自分の居場所の中でくらい、正直でいたいと、切実に思うようになりました。



なわけで、2009年のR-18は、ちょっと言葉足らずになったり、あるいはトゲが出てきたり、なんてことがあるかもしれません。

受け取り方は自由だから、好きに解釈してくださって構いません。

当たってても外れてても答える保証は出来ないけど

よろしくメカドッグ。(死語)


迷いが出てジタバタしないように、あえて、操作できない時間に更新されるよう、予約投稿。

でも、ここ最近の中で、一番好きな日記かも。



幸福な副作用

R-18を見てくださっている繭さんという方から、こんなコメントをいただきました。

実は、私は昔から、あまり人といることが好きではない、と言いますか、一人でいることの方が楽だと思って、ずっと生きてたんです。
心の内側を誰かに見せることは怖いし、そうしたくないから、厚い壁を人との間に作って、踏み込まれることを恐れながら、人間関係を築いてきたんです。
(―中略―)
自分のことを分かってくれる人だけそばにいてくれればいい。
そうずっと思っていました。
でも。
奈々さんのブログで綴られることば達をみて、それってすごくもったいないことなんじゃないか、と思うようになりました。
奈々さんは、人とのつながりや、出会い、そういったご縁をすごく大切にしてらして、そういった人との触れ合いの中で、さまざまなことを素直に吸収してらして。。
(―中略―)
私はそれまで、「縁」は授かりものだと思っていました。
けれど、確かに縁は授かりものでも、それを自分の人生に反映していくには、自分自身の行動や姿勢のあり方などが大事になるのだな、と思ったんです。
そう思えたのは、奈々さんのおかげです。
本当にありがとうございます。
今、私はこれから先出会う人々とのつながりを、大事にしていこうと、すごく思っています。
いろんな人に出会いたい!とも思っています(←これ、私にはすごい心境の変化なんです!今まで「にんげんなんてめんどくさいー」と思ってた人間なので。笑)
(―以下略―)



こんなふうなコメントをいただくと、それはもう、ほんとに、身に余る光栄で、「めっそうもない!」って思うんですけど、私も人の子、嬉しくないと言ったら大嘘。ものすごく嬉しいです。ありがとうございます。^^

以前にも書いたことあるけど、このような、好意ある言葉をあえて鵜呑みにさせていただくとしても、私はずっと、今と同じような物の考えをしていたわけじゃないと思うんです。その証拠に、R-18をやり始めたころは、こんな嬉しいメッセージをいただく機会なんてありませんでした。
ハワイが近づいてる、くらいのユルさノロさで、自分が変わってきたのかなあ…と思っているし、そう思いたいのですが。


語尾に「(笑)」をつけたうえで、「生まれてくる時代間違ってるよ!!」と言いたいくらいにファンキーな、★さんという愛すべき不良中年がいまして、昨年末に、その★さんとあいちんと3人で忘年会を兼ねて飲んでいた時、★さんからこんなことを言われたんですね。

「愛子も奈々も、もう、自分の考えはこの先変わらないって思ってるだろ。でも、35歳くらいになったらまたガラっと考えが変わるよ。俺も思ってたもん。お前らくらいの年の時、もうこのまま変わらないだろうなーって。でも、42歳になった今思うと、35歳くらいを境にまたガラーっと変わってんだよね」
(2014.02.01追記:そんな★さん、今年48歳の年男。そして2009年1月当時まだ26歳と27歳だった私とあいちん、今年32歳と33歳に。はーえーなーもーー)

★さんが言うように、私はもうこれ以上は変わらないかもしれない、変われないかもしれないって諦念に近い気持ちで思っていて、だけどそれを自分よりもうんと年上の人がポジティブに否定してくれたこと、しかもその「境目」がまだ何年も先にあると言ってくれたことがすごくうれしかったんです。
「年をとる」ことに対しての希望や、まだまだ埋めたり塗りつぶせたりできる余白の存在を示された気がして。

リアルタイムで自分の変化を感じることは出来ないけど、ふと、10代後半や20代前半の自分を思い返してみると、今の自分とはやっぱりちょっと考え方が違うなと感じることがあるんですね。

コメントをくれた繭さんと通じるところがあるけど、私は、ずっと人間関係は狭く深くでいいと思っていたし、水が合わない人と無理して付き合わなくていいと思っていて、その気持ちは今もそんなに変わっていません。

だけど、合うか合わないかを判断する基準が以前に比べるとざっくりしてきたような気がするし、わずかかもしれないけど「狭く深く」の「狭い」とする範囲だって広がってきたような気がしているのです。

最近、あいちんともよく話しているんだけど、以前はもっと斜に構えていて、もっと排他的で、「縁」というものを、極端に都合よく解釈したり、ネガティブすぎるとらえ方をしたりしてた節があって、一つの「縁」に対する執着の仕方や、手放す時の見切りのつけ方、そのどちらともに、なんかこう、変な力や偏った思いが入ってたけど、それが最近いい具合に抜け始めてきているのです。ようやく。

だから、昔の私が会ってたら苦手だと感じていたかもしれないけど、今出会えたから仲良くなれた、っていう人、いっぱい居るんじゃないかと思うんです。

それは私の受け取り方にしてもそうだし、私が相手に与える印象にしても今と昔では違うんじゃないかなと思いたい。
自分に変化が起こったことによって、第三者の受け取り方や、第三者からの対応が変わったのであれば、それはとっても幸福な副作用です。

ありがたいことに、最近の私は以前に増して、引力の強い素敵な人たちにグングン吸い寄せられていて、なんかもう、ここ2年半くらいの間、会う人会う人素敵過ぎて、世の中には素敵な人しか存在してないんじゃないかと錯覚を起こしてしまいそうになるんですね。

それでもやっぱりそうでない人と出会うこともあって、そのたびに改めて肝に銘じるのです。
世の中には、努力したって自分とはまったく相容れない人も居るし、自分の常識では理解できない鬼みたいな悪人もいるって覚えておかなければと。忘れちゃイカンと。じゃないと、そういう人に出会った時、ものすごいショックを受けてしまうから。心臓を叩いておく。ストレッチをしておく。分母が増えれば邪悪な分子も増えてしまうことを念頭に置いておく。
その上で、素敵な人に出会えた事実に感謝をする。当たり前だと思わないようにする。

先週の連休中に、また、改めて思いました。(初日2日目)

土曜と日曜日の二日間で、総勢17人もの人と会って話して笑ってお酒飲んでたら、なんかもうめちゃくちゃ楽しくて、うまく言えないんだけど、すごく有意義に時間を過ごせている実感があって、以前ココで引用したことのある「叙情は常に遅れて来た客観視の中に存在する」という言葉とは矛盾してしまうんだけど、最近、「状況」と「叙情」が並走していて、リアルタイムで「今楽しい!!」とか「今幸せ!!!」って感じられて、ああ、やっぱりうまく言えないけど、世界中にアイラブユーって言いたいくらいにハートフルでピースフルでとにかく、周囲にいる人たち、全員大好きだ。と。
意味分かんなくてごめんなさい。興奮しすぎててごめんなさい。センテンス多すぎてごめんなさい。

そして私が言いたいのは、コメントをくださった繭さんのように、私のこういう気持ちを、R-18を読んでくださってる方が、読み取ってくれることもあるってこと。感じとってくれることもあるってこと。
なおかつそれが誰かの何かの動機付けになったりすることもあるという事実。

思春期か?というくらいに、迷走し続けている未完成な私が、ただただ思ったことを露呈しているだけの日記が誰かの目に留まる、ということも、幸福な副作用のうちのひとつで、ブログやっててよかったって思うのはこういうときです。

改めて、繭さんへ。
嬉しいメッセージ、それから、引用の件を快く承諾してくださったこと、ともに、ありがとうございました。



連休初日の餃子ぱーりー(※party)以降、マッキーのベストアルバムをやたら聞いていたんだけど、そのせいか、この日記書いてる間中、「遠く遠く」に出てくる「大事なのは 変わってくこと 変わらずにいること」ってフレーズがずっと頭の中で流れていました。




「遠く遠く」







輝く勇気はありますか?

先日、「会ってみたい」と思っている有名人について、そしてその人たちの「好き度」についてミスタースタイリッシュに語っていたあたし。

だけど、実際に御本人を目の前にしたら緊張して喋れないかも…、というようなことを話していたら、MS(長いので省略)は「緊張かー。もう、そういう感覚ってほとんどないなあ〜」と言っていた。

仕事上、多くの有名人を目にしているMS。
自分が「会いたい」と思っていた有名人とは、ほとんど対面を果たしてしまっているらしいし、テレビで見るような人たちと日常的に接しているせいか、抗体が出来ているっぽい。
ついでに言っておくと、あたしが特に会いたい有名人というのは二人いるんだけど、その二人ともにMSは会ったことあるらしい。一緒に仕事したことあるらしい。うらやましー!!!

しかも、あたしから見れば「憧れ」の対象であっても、MSから見れば自分よりもうんと若い人だったりする。だから、「がんばってるなー」とか「魅力的だなー」と思うことはあっても、「憧れ」の対象、すなわち、緊張してしまうほどの相手にはならないのだろうと思う。

がしかし、そんなミスタースタイリッシュでも緊張してしまう相手がいると言うではないの。

誰かと思ったら

なんと、

宮崎あおいさんなんだって。

50オーバーの男子(?)が23歳の女の子相手に緊張してどっきどきしちゃうんだって。

「そりゃ素敵な女優さんだと思いますけど…。どういうところに緊張するんですか?」

と聞いてみたら

「だってもう、肝が座ってるんだもん」

とのこと。


そんな話をしていた数日後、美容室で髪を切られている最中にVOGUEを読んでいたら、(巻頭の広告ページ群を省いた)筆頭に掲載されている「editor's letter」が目に留まった。

「輝く勇気はありますか?」

というタイトルのついた1ページ分のコラム。
そのコラムの中で、タイムリーにも宮崎あおいさんについて触れられていた。


日曜日夜8時にテレビの前にいる自分に驚いてしまいます。もちろん、「篤姫」を見るためです。こんなことは子供のころ以来です。今や日本シリーズも相手にならない視聴率を記録するNHK大河ドラマの主演を務めるのは、23歳の宮崎あおいさん。快挙です。暗いニュースばかりが多い世の中で、こんなに人々の心を引き付け、ワクワクさせる力をもつ若い女性が登場するなんて、日本もなかなか悪くない?と思ったりします。
そして当然、宮崎あおいさんは今年の「VOGUE NIPPON Women of the Year」の受賞者です。(中略)
女優から作家、お笑い芸人、政治家までジャンルは多岐にわたりますが、「圧倒的な輝きを見せた女性」という一点のみが選考基準です。では、輝きってなんだろう、という問いがいつも生まれます。人によってさまざまな輝き方があるのは当然ですが、ひとつだけ共通点をあげるとすれば、それは「勇気」のような気がするのです。誰にも追いつけない活躍をした人は、誰にも理解されないかもしれない状況のなかで、それでも自分を信じて自分の仕事をやり抜いた人です。
(―中略―)
今月号では日本発の「盛り」ブームも特集しています。胸や目や髪をどんどん派手に盛り上げていく女の子たちのトレンドで、海外からも注目されています。日本の女の子たちの「もっと目立ちたい、もっと輝きたい」というある種際限のない自由なエネルギーが面白いのでしょう。女たちはほんとうに欲張りです。それを非難することは簡単です。でもその欲望から目をそらさずに、とことん付き合うことで新しい何かを発見しようとする女性の方が素敵な気がするのです。

(VOGUE NIPPON 1月号 P49 「editor's letter」より抜粋。 text:Mitsuko Watanabe)


「日本版」とは言え、世界のVOGUE誌が、「世界」という巨大市場を相手にしているVOGUE誌が、NHK大河ドラマについて、そして宮崎あおいについて、しかも巻頭で取り上げていることに驚いた。中盤あたりの「カルチャー面」とかで触れてるなら分かるよ。でも、「のっけから」だよ。

現在我が家にはテレビがないから、あたしは「篤姫」を見たことがないのだけど、噂は十分耳にしている。「篤姫」の中で、「日本シリーズも相手にならない」ほどの飛びぬけた魅力を発揮して人々の心を引き付けている、と世界のVOGUE誌に取り上げられた宮崎あおい女史。
「篤姫」を見てなくたって、いや、逆に見ていないからこそ、篤姫を演じた宮崎あおいさんの輝きがどれほどのものだったのかという想像が果てしなく広がって、ざわざわと鳥肌が立ってしまった。
なんか、勝手に感動してきて、髪切られながら目頭がじわあああって熱くなってきて「これはヤバイ」と思い、VOGUEを閉じてSPURに変更!そして美容室帰りにVOGUEを買って帰り、家でじっくりと読むことにした。
このコラムと、P160から特集が組まれている「Woman of the year 2008」のために、今月号のVOGUEを買ったと言っていい。

なんか、最近、全身粘膜の逆バージョンになっていて、何かと感動しやすくて、おなじみあいちんと話しているときに、すんごいヒートアップしてきて、話しながら涙声になってきて「なんかごめん泣きそうなんだけど!」って話を中断させる、という事態が多発していて、「ごめん、ちょっとタイム」って目を拭って体制を立て直して「えへへ(照)」ってあいちんに向き直ったら今度はなぜかあいちんが涙目になっとるがな!!!みたいなギャフンなことが繰り返されている。ほんと…師走って人をおかしくするよね。

二人してPerfumeのPVとかライブ映像見て泣いてるからね。どこでだよ!!!って突っ込まれるけど、あの3人を見ていると「下積み長かったんだもんね、ほんとによかったね」って、涙が止まらなくなってくる。「ネタ」であることを分かっていながらフォーリンラブのショートコントにじんときてしまっているあたしがいる。

話を戻すけど、コラムの終盤で書かれている「女子の持つ欲望」についても、最近考えていたこととリンクするものがあって、心を打たれた。
自分なりに、いろいろと思うところがあって、あたしはあえてR-18の中で年齢を伏せていますが、まあ、アラニゴであります。(around 25)
うちの母が今のあたしと同じ年のときにはすでに、お腹の中にあたしが居た。そしてちなみにあたし次女。すなわち、今のあたしと同じ年齢の時にはすでに奈々ママは一児の母親だったわけです。

今ではいろんな情報媒体が、こぞって「年相応でなければいけないこと」をナンセンス化し、エイジレスであることを推奨し、何歳になっても好きな格好、何歳になっても好きなことを、と後押ししてくれてるけど、母時代の、それも地方の価値観で言えば、今のあたしは完全にいきおくれのボンクラの大飯ぐらいのごくつぶしである。(誰も大飯ぐらいのごくつぶしとは言ってない)

地に足ついてないし、払うもん払ってないし(何をとは言わないが)、宵越しの銭を持たず、何かと衝動的なパッショニスタであり、ノルアドレナリンを求めてリスキーな方向へとズンズカ歩いて…っていうかむしろ疾走していくツリバシストでありますが、それは直らないだろうし(治らないだろうし)直そうとも思ってない。まあ…貯金くらいはしとくかな、と最近思ってますが。

言う人によってはバカにされるけど、あたしはこの年になっても


「大人になったら何になろうかなー」


って思っている。し、言ってる。


大人になったらPerfumeに入りたいと思っている。(急にバカ通り越してイタい人)


Perfumeは冗談だけど、そして今の時点で一応大人なんだけど、「今」より先の未来で生きてるあたしは全部「大人になったあたし」になる。

だから、40歳になっても50歳になっても、それよりも先の未来に思いを馳せて


「大人になったら何になろうかなー」


って思ってると思う。


自己顕示欲や自己陶酔は、時に、人を不愉快にさせてしまうことを、あたしも知っているけれど、誰かの「自己顕示欲」や誰かの「自己陶酔」を目の当たりにしてむらっとした苛立ちを感じる時と言うのは、その人に対しての「羨ましさ」があるからなんですよね。
微塵の照れもなく、完璧に自己陶酔してるパフォーマンスって、もうその「自己陶酔」自体がエンターテイメントとして映って、見てる方も全く照れを感じない。つつく隙のない自己陶酔が出来ている人を見ると、そう出来ることが、そう在れることが、猛烈に羨ましくなる。そしてその感情が、時に、「不愉快」や「苛立たしい」という気持ちに置き換えられてしまう。

少しでも羞恥心とか照れとか迷いとかが漏れ出てると、見てる方も恥ずかしくなるんですよね。
だから思うのです。
自分のやりたいことを迷いながらやんないで、アラニゴでも「トシ甲斐のない…」とか考えないで、たとえ非難されたとしても、強欲に、輝く勇気を持って、やりたいことやってこー!!って。

っていうスタンスで最近あいちんとアツく語ってるから二人して感情が高ぶって涙目になる、という事態が頻発しているのであります。ああ…類友…。


全然関係ないけど、こないだ、PerfumeのPV撮ってる方とちょこっっっとだけお話しすることが出来て感激したー!一緒に飲んだ、とかでは全然なくて、ごあいさつ程度の会話しか交わせなかったんですけど、話し方とか話すこととか動きとかの一つ一つがユーモラスで、とっても感じの良い素敵な方でした。
PVだけ見て想像してた感じでは、なんかこう、尖った感じのクールな人なのかなって思ってて、例えるならメタリックでシャープでスタイリッシュなスポーツカーのような人を想像してたんたけど、ミニクーパーとかビートルを思わせるような、「スタイリッシュ」と言うよりも「おしゃれ」と言いたい、ポップでキュートで遊び心のある方でした。
機会があったらまたどこかでお会いしたい。じっくりお話してみたい。



ちなみに。
髪は、10cmくらい切りました。
パーマで傷んじゃって洗うとき絡まってしょうがなかったけど
ぐんと楽になった。
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